『自己啓発株式会社』?

この本をちょっと読み直していました。

Self Help, Inc.: Makeover Culture in American Life

Self Help, Inc.: Makeover Culture in American Life

初版は2005年刊ですので、既に最新刊とは言い難いですが、横文字は導入されるまで時間がかかるので、まあ最新の心理主義論のひとつと言って良いでしょう。

自己啓発本などの「自己改善文化」に耽溺する現代アメリカ人を社会学的に批判した本のひとつだと言えます。
著者は、自助本などで自己実現にハマっても、多くの場合ゴールも見えないし、さして見返りがあるわけでもなく、フラストレーションの中で自己は"Belabored Self"になってしまうと説きます。この用語はなかなか訳しにくいのですが「すり減らされた自分」「打ちのめされた自分」と言ったところでしょうか。

自己改善文化の中核にあるのは、伝統や規範から自由になった自律的な自己というフィクションなのですが、著者はそれが古代ギリシャに由来する観念(の発展形)であると言っています。そしてそれは、実は他者やマイノリティの抑圧の上に初めて成り立つものだとも示唆しています。

ポストモダン社会において、自己実現の要請は高まってくるわけですが、そんな時代には労働者はちょうどアーティストのようなものであるべきだというふうに規範が変わってきます。一人ひとりが起業家精神を持つべきといった論理も自助本でよく語られます。その希有な成功例がブルジョアボヘミアンなわけですが、著者は、そのような「芸術としての労働」観を持ったとしても多くの場合は、(実際の芸術家の多くが困窮しているのと同様に)見返りを期待せずに働く形態の増加、ひいては個人の弱体化をもたらしてしまうと警告します。

自助本は、せいぜいが経済的不安定の中での「解毒剤」なのであり、政治的、集合的な変革が必要だと著者は最後に述べます。「さらに新しい社会運動」では、マイノリティの承認だけではなく、経済的な面も同時にそのアジェンダに加わるべきだと主張します。

と強引に要約すればこのような感じなのですが、著者の主眼は自己改善文化そのものにあるというよりも、政治的参画の可能性のほうにあるようにも読めました。
ですが、その可能性のこれからの具体例として挙げられているのが12ステップグループ、フェミニズムの意識高揚グループ(いかにも古い)、そしてほんの数個の社会運動団体(エイズ問題に関わるものなど)に限られているのは、いかにも議論が弱いと思いました。全体の語り口も、修士の院生の冗長な論文を読んでいるようで、タイトではなく、アマゾンコムであまり評価が高くないのも理解できます。

異なる国とはいえ、森真一先生『自己コントロールの檻』での労働観など、日本の心理主義論ともかなり重なる議論が展開されていました。非正規雇用についての議論などは日本の研究書のほうがツッコミが深いと思えるほどです(アメリカはそれだけ非正規雇用が常態化してしまったということでしょうか)。新自由主義についての議論も、鈴木謙介さんの新書などのほうがよほど包括的に論じ得ていますね。