Therapeutic Culture by Jonathan B. Imber 心理学的発想からのアメリカゆとり教育?

Therapeutic Culture: Triumph and Defeat

Therapeutic Culture: Triumph and Defeat

ジョナサン・インバー編の上記の本を今期の大学院ゼミで読んでおります。
アメリカの心理主義文化に関するアンソロジーと言えましょう。
今週の課題は6章、ジョン・ステッドマン・ライスによる"The Therapeutic School"。心理療法の「学派」の話と思いきや、「セラピー的学校教育」がテーマです。
ライス氏は、カール・ロジャーズ、アブラハム・マズローらに典型的な、1960年代以降の「人間解放の心理療法」思想の特徴を、次の4点にまとめます。

1.人間は素晴らしい本質を生得的にもっていること
2.外的基準、外的規範による抑圧が、すべての心理的病の原因であること
3.そうした抑圧は、すべての公的な問題の原因でもあること
4.すべての人間は、そうした抑圧から解放されるべきであること

そして、論文の後半は、こうした「解放の心理療法」の発想が、アメリカの教育現場にいかに浸透し(それは現在のセルフ・エスティーム、自尊心教育にもつながります)、そして結果としてアメリカの教育の客観的スコアがいかに下がっていったか、という話になってゆきます。
何やら、日本の「ゆとり教育」批判にも近いような内容でした。Incommensurability--生徒を比較できなくなってしまうこと、といった用語からは、手をつないでみんなでかけっこゴールするという日本の学校の逸話(真偽のほどはどうなんでしょうかね)を思い出しました。
欲を言えば、ロジャーズらと教育家たちの直接的つながりがあまり説得的には感じられなかったこと(ともに、むしろ現代文化の反映だと言えなくもありません)、また、もはやこれは単なる心理療法思想の話題というよりも、現代的人間像にまで広がっている話であることに、もう少し著者氏が自覚的であればなあ、ということを思いました。

ライス氏は、『自分自身という病』という旧著では、共依存自助グループのフィールド調査から、「解放の心理療法」思想を、むしろポジティブにとらえている様子さえ窺えたのですが、公教育に関する部分では、やや批判的論調になったと言えそうです。

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