マインドコントロール、再び

やはり学生さんのマインドコントロール(論)への人気は高いようです。
もう一度整理してみたいと思います。
まず、大前提として、社会学ではマインドコントロールはえらく評判が悪かったです。
というのは、MCは結局、広告や教育などであまりにも広く見られる現象ですし、個人が組織などへ「社会化」されていく普遍的なプロセスを述べたものにすぎない、とも言えるからです。
もちろん、学問分野の傾向というかテイストもあって、たとえば、マインドコントロール論の論文を学術誌に投稿したら、社会心理学系の雑誌だと審査に通る可能性はありますが、社会学系の雑誌だとおそらく審査に通らないでしょう。厳然とした「好み」もそこには存在しています。
MC論のある種の危うさは、それが「手口」的に聞こえてしまうところです。
それが普遍的に悪い「手口」であるならば、同一の手口を使っている他の組織や伝統宗教も批判されなければおかしい、と普通なら考えてしまうでしょう(あるカトリックの神父さんが「ぼくが修道院で体験したことはマインドコントロールのようなものだったのだろう」と述べているのを聞いたことがあります)。
また、いわゆるカルトであっても、信者の多くは2年以内に自然脱会してしまうので「誰でもひっかかるマインドコントロール」というイメージは単純に誤りです。
しかし、たとえひっかかる確立が低くても、被害をうったえる個人が存在していることは事実です。
結婚詐欺にたとえるならば、結婚詐欺が200人に声をかけてようやく1人をだましても(成功率がそのぐらい低くても)、その詐欺の責任が軽減されるわけではないという感じでしょうか・・・。
私の暫定的結論としては、マインドコントロール論自体は、単純すぎる見方という面もある。しかし、アメリカの社会学者ほどにはスーパーリベラルにはなれないというトコロです。どんなクレイジーな信念でも信じる自由はあるというのは正論です。が、批判されるべき宗教集団も一部に確かに存在するし、そうした集団には入るべきでないし、学生が入ったら止めさせるべきであろうと思っています。
つまり、マインドコントロール論の是非と、一部特定宗教集団への入信の是非は、必ずしもイコールではないし、分けて考えることも充分できるだろうと考えています。