マインドコントロール論争

学生さんに発表してもらうと、マインドコントロールをテーマに選ぶ人が結構居ます。
しかし、社会学者は長年、マインドコントロール論に懐疑的でした。
ちょっとマインドコントロール論に賛成、反対の立場で比較してみましょう。
【賛成派】若者を勧誘しマインドコントロールするカルトは現代社会の脅威だ
【反対派】カルト「被害」は誇張されているし、多くの若者はカルトに関心はない
【賛成派】カルトのマインドコントロールは強力であり、誰もがひっかかってしまう
【反対派】実際には多くの信者は2年以内にカルトを自然脱会している
【賛成派】リスクを開示しないで特定の宗教活動に献身させるのは道義的に問題だ
【反対派】宗教への入信というものは、事前にすべての結果をわかって決めるような性格のものではない
【賛成派】かたくななカルト信者を説得するには、信者を騙して隔離することも正当化されうる
【反対派】反カルト運動の一部は、信教の自由に反する活動をしている
【賛成派】本来の意図を隠したり、教祖を伝説によって神格化したりするのは詐欺である
【反対派】「方便」自体そもそも宗教用語に由来する。宗教の修行などにおいて、「欺瞞」と「方便」を区別するのは容易ではない。聖書にも科学的におかしなところなどいくらでもある
そして何よりも、マインドコントロール論で言われている細かいテクニックの一つひとつは、セールスや広告などでも使われており、あまりにもありふれているものであったりします。こんなにも多くの、しかも由来する伝統が違う教団で似たような手法が見られるというのは、何のことはない、社会化(socialization)というプロセスのもつ普遍性なのではないか? 社会学を一度でも真剣に勉強した人なら「教育は最大のマインドコントロールだ」という意見にまずは賛成することでしょう。
しかし、そうは言っても、というところで、やはり一部の教団の「被害」について警戒する見方が社会学者の中にも出てきているのは事実です。
櫻井義秀先生がこの分野では権威ですが、学生指導の観点からも、学業や就職そっちのけで特定宗教に献身するのは問題なしとしない、という見解です。
また、さらに根本的な問題として、もし自分の家族や子供が「議論ある集団」に入ったら全力で止めるであろう事態に関して、宗教社会学の講義でだけは普遍的なリベラリズムを説くというのも、ややダブルスタンダードでありましょう。
要は「当事者になったらアンタどうするの?」という視点が入って来たとも言えますし、日本はヨーロッパほどではないにしろ、アメリカよりはまだ教育現場におけるパターナリズムが残っているとも言えるのです。