宗教社会学で言えること。

「人間の精神に関することは、ある意味で、何でも宗教的であると言えなくもない」
大学院への勉強をしている時にある先輩から聞いたコトバです。
確かに、こと宗教というものを考えていくと、次第に「宗教以外」へも関心が及びます。
別に自分の仲間の多くが、定期的に(週に1度とかの頻度で)宗教施設に通っているというわけではない。
世界観の面では、むしろ、宗教以外のもののほうが、影響力は大きいのではないか。
そう考えても不思議ではありません。
しかし、ほぼ全ての学問のサブジャンルは、そのサブジャンルのルールと得意分野に基づいて成立・展開しているのもまた事実です。
宗教社会学ですと、気持ちとしては、実は同時代に生きるすべての人々の時代精神・世界観に関心があったとしても、やはり個々の調査・論文になれば「すぴこん」だの「○×教団」だのに焦点を絞り、そこから見えてきたことから、全体社会を類推するということになります。そこまでが、個人に出来るベストです。(もちろん、統計調査の質問項目を洗練させ、何百、何千のデータから現代の宗教性を見る、ということはもっと多くおこなわれるべきですし、いずれやろうとは思っています)
「日本人の宗教は無宗教である」という論文を、そのような題名の本が出る遙か前に修士論文で書こうとした後輩もいました。
しかしそれはやはり宗教の定義が拡大しすぎなのだと私は思います。
宗教というのは、もっとも歴史的かつ強力な「パラダイム」には違いがありませんが、しかしパラダイムだからといって、全て宗教的とは限らない。むしろ、非宗教的なパラダイムも並行して存在しているとみるべきでしょう。