大学における勉強の効用

【この項まとめ】
1★大学における勉強の効用とは「異なる他者と出会う」「異なる他者の考えに触れる」というところにあると思います。
2★「宗教の定義」は、常にはっきりせず、社会的論争のタネにもなりうるというところこそが、その特徴です
3★大学の講義はひとつのきっかけ。自分の感覚は大切に、同時に根拠はしっかりと探して議論するようにしましょう


【本文】
何年か前に、宗教社会学の講義で、ある学生さんがコメントペーパーに
「この講義を受けてみて、宗教の輪郭が、むしろ拡散してきた気がしました」
ということを書いてくださったことがありました。
「あ、この人は、私の授業に割とちゃんと毎回出て、話を聞いてくれていた人だろうな」とその時私は直観的に思いました。

宗教とは何か、これは宗教現象なのか、あの一見怪しい宗教を信じている人たちって何なのか… こうした問題を考える意義はどこにあるのでしょうか。私はそれは、ひとことで言ってしまえば、

「異なる他者と出会うとはどういうことか」

を学ぶ、ということだと考えています。そしてこれは、おそらくは大学での勉強全般に言えることだろうとも思っています。

高校までの時期など、家の近所を大きくは離れることなく、ひとつの地域に暮らしていれば、さほど異なる他者と出逢う機会は多くないかもしれません。しかし、大学、社会人になってくれば違ってくるでしょう。

世の中には、想像を絶するようなことを信じていたり、おこなっていたりする人々も存在します。これまでの常識とは違うようなものの見方に接することもあるでしょう。また、留学などで、まるごと異文化へ飛び込んでいくこともあるかもしれません。

そういう時に「自分とは異なる信念を持った他者と出会うとはどういうことだろうか」「そういう人たちとどう対話していけばよいだろうか」「いっけん奇妙な風習に見えても、彼らの立場からすれば、彼らのたどってきた歴史の反映であり、一定の意味もあるのではないだろうか」・・・そういうことを考えられるようになるのが、大学における勉強のひとつの意義であり、醍醐味であると私は思っています。

そしてそれは、もしかしたら心理学、社会心理学、文学などでも学べるのかもしれませんが、私の場合は、さまざまな偶然も重なって、宗教社会学という分野がそうした問題を探求するのにもっとも相応しい立場だと思えたのです。

そして、そうした見知らぬ他者の考え方に触れることを通して、実は私たちの社会の側で常識と思われていることも、特定の歴史と状況とある種の運によって構築されてきた、相対的なものなのかもしれない、と考えられるようになることが、究極の理想のひとつであろうと思います。(相対的:ものごとが比較によって決まるようす)

大学からの勉強は、高校までの勉強とは違います。
『1問1答用語集』のようなものがあって、全国どの先生も同じことを教えているようなやり方ではありません。特に大学の講義や演習は、皆さんがものごとを考え、さらにその考えを深めていくための「きっかけ」のようなものに過ぎません。そしてできれば、これまで常識と考えられていたことを建設的に疑い、自ら探求していってほしいと思います。

・神社は宗教法人かもしれないけれど、初もうでは別に宗教じゃないよね
・○×教団はなんか怪しそうだから政教分離に反しているのでは

…そんな意見をよく耳にしますが、「常識」と思われていることをただ追認するのでは、わざわざ大学で学ぶ必要はあまりないとも言えます。

もちろん「宗教と政治の話はしないほうが良い」というのは、一般的な生活の知恵としては確かに一理あるのかもしれません。
「宗教」や「宗教にまつわる観念」は、多くの人にとって非常に確固たる信念となっていて、なかなか揺るがない、という感覚すら私は持っています。たとえば私は経済学については学んだことがほとんどないので、経済学の先生が言っていることならば、とりあえずは専門家の意見として拝聴すると思うのですが、宗教や習俗のような、あまりに身近なものになりますと、人々の意識というのはあらかじめかなりかっちり決まっているかのようです。たとえば「日本人は無宗教だからね」と言う人に、そうでない可能性を説明するのは、結構難しかったりします。

しかし実は、「どこからどこまでが宗教なのか」「何が『本当の』宗教なのか」という問題は、最終的な結論というのは出たためしがなく、また時には社会的な紛争のタネにすらなりうることがあります。
たとえば、ある宗教社会学者が、A教団信者の地域受け入れに反対している地元民にインタビューに伺ったところ
「あなたはAを宗教問題だと思っていますか? もしそう思っているのなら、もうそれ以上話はしません」
と言われたという逸話があります(その先生は、その調査に基づく発表でさえ、要望により「X市のY教団」のように表現しなければなりませんでした)。
つまり宗教は、永遠の真理やら、全知全能の神といった概念を立て、時に熱心な信奉者を生み出すがゆえに、ある時は一部の人々に生き方の指針を与え、ある時は大きな世間と鋭く対立する可能性を秘めてもいるのです。
毒にも薬にもなり、またその概念をめぐって常に社会的論争が起こりうる、それこそが、宗教現象の注目すべき特徴ですらあるのです。

そして、だからこそ、私は宗教社会学関係の授業の最初には「宗教社会学は宗教を事前には定義しない」「宗教社会学は我々が通常は宗教とはみなさないものも研究対象にすることがある」とお話ししているのですね。

学生の皆さんは、奇妙な宗教のニュースに触れたり、あるいはこれまでの常識とは違う学説などに触れることも多いかもしれません。その時に、まずは「そういう見方もあるのか」「これまではとは違った考え方もあっていいかも」と、相対化して考えていただきたいと思います。

もちろん、大学には教員だけでなく学生さんにも学問の自由はあるわけで、最終的に教員やテキストの意見とは反対の結論に達しても、それ自体には何の問題もありませんし、それをテストの答案に書いてもかまわないわけです。新しいものごとに触れた時の直観や違和感は、何であれむしろ大切にしてほしいとさえ思います。もちろん『College Thinking』などが示しているように、大学レベルの議論において何かを言う時には、明確な根拠がなければなりませんし、一定のマナーやルールには配慮しておこなうべきでもありますけれども。

College Thinking: How to Get the Best Out of College (Mentor Series)

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