宗教社会学の効用、宗教社会学の魅力

【この項まとめ】
1★宗教社会学は、宗教に対してどう解釈をすべきなのかが、時に明確でない場合があります
2★私にとって宗教社会学は「英語好きだった私」をあらためて捉え直す良い機会にもなりました
3★宗教社会学は、個人のアイデンティティ確立、集団と個人との関係を考える上での、良い訓練となる可能性があると思われます


【本文】
宗教社会学は、場合によってはとらえどころのない学問という風に見えるかもしれません。

これが、たとえば「NGO社会学」「ジェンダー社会学」「マイノリティの社会学」などだったりすると、「対象となる社会現象が、どういう方向に向かうべきで、それについてどういう評価をするべきか」というのが、比較的明らかだと思います(NGOは発展すべき、男女は平等であるべき、マイノリティの権利は認められるべき等)。しかし、対象が宗教ですとなかなかそうハッキリとは言えません。

もちろん、宗教をフィールドにしている以上、できるだけ信教の自由が尊重され、諸・宗教団体が豊かに存在しているほうが、ウォッチャーとしてはありがたいという「本音」はあります。しかし、いわゆるカルトなど、社会的に困った問題も(時にはキャンパス内にさえ)存在するので、なかなか一般的な意味で「宗教はこうなっていくべきだ」とは言えないという事情があります。

少々個人史的なことを書きますと、私は1970年代に子ども時代を過ごしました。当時の子ども雑誌や本には、リニアモーターカーやエアカーが走っている未来予想図がよく載っていました。スター・ウォーズやロボットものなど、科学への素朴なあこがれがまだあった時代であるとも言えます。そんな中では、男の子のあこがれとして「科学者」というキャラクターもあったように思います。こっくりさんをやっている同級生を横目に「非科学的なものは信じないよ」と言っていた記憶すらあります。そうした状況下では、むしろ「神だの霊だのを信じる人がいるのはどうしてなのだろう?」という疑問をなんとなく持っていた程度だったと思います。

時は流れ、大学2年次に、カリフォルニア大学デイビス校に留学した際、第7希望ぐらいでたまたまジョン・R・ホール先生の「宗教社会学」を受講し、直接にはこの授業がきっかけで私は宗教社会学にのめり込んでいくことになりました。
それまでにも日本で社会学の講義は受けていたものの、社会学の基礎科目というのは、あんまり面白くないことが多いです(笑)。特に、理論の話など「キリスト教倫理が近代化をもたらした?」「社会分業がモラルの代わり?」など、いまひとつ身近に感じられず、最初はよく(あるいはまったく)理解できませんでした。
しかしこのホール先生の授業では、そうした社会学の基礎論をわかりやすく解説しながら、現代アメリカの宗教の多様性をも面白く紹介してくれましたし、「人はなぜ宗教を信じるのか」ということに対して、答えが見え始めた気もしました。

今でも忘れられない光景があります。デュルケームの「聖なるシンボルと社会秩序の関係」を説明している時、先生が教科書を手にとり、床に落とし、足でそれを踏みつけながら、こう仰ったのです。

「もしこの教科書をこういう風にしても、大した問題にはならないだろう。
 しかし、もし聖書で同じ事をやったらどうなると思う?
 おそらく私は、数日中に学長に呼び出しを喰らうことだろう」(学生笑い)

つまり、ある社会において、聖なるもの、大事にされるべきものがあるからこそ、そこから「何を守るべきかという意識」や「社会秩序」「ルール」が生まれる、ということを非常に上手く示してくださったのです。

その後、帰国してみると、あらためて自分がキリスト教系の大学に通っているのだと気づきました。私の母校は、終戦後にアメリカのクリスチャン達の寄付によって開学した大学でもあります。そして何より、日本人の中には<英語圏の国=西洋文化キリスト教文化圏>のような漠然とした好イメージがあり(「YMCAの英会話」に喜んで通う、などはその例でしょう)、洋画・洋楽ずきがこうじて英語マニアになった私にも、そうした意識はあったとあらためて思いました。そこから、自分の大学って何だろうな、宗教って何だろうなという探求から、大学教会の合宿や礼拝にも参加してみましたし、クリスチャンの友人もたいへん増えました。

宗教社会学の効用についてですが、社会学が個人と社会との関係というものを考える学問であるとするならば、宗教は、今も昔も、たいへん良い材料を提供してくれている、というのが私の考えです。

個人がアイデンティティを確立していくとか、あるいはある集団の一員となる、という行為は、実は誰かが特定の宗教の教えに触れ、その宗教に入信するという行為に、きわめて近いものがあります。

また、おそらくあらゆる宗教は、そこに神などの崇高な理想があり、組織としての「教会」があり、そこに集う信者がいるわけですが、それもまた、あらゆる集団における「理念と組織と個人との関係」を考える上で、たいへんわかりやすく有益なモデルを提供していると思います。

学生さん一人一人が、最終的に(たとえば卒業研究などで)宗教をテーマにするかどうかは、もちろんまったく自由ですが、宗教社会学を学ぶということは、社会学のどのサブジャンルを探求するにせよ、きっと良い訓練になるだろうと私は考えています。