朝まで生テレビ

昨夜は、裁判員制度の是非を討論していましたね。
やはり、普段「りべらる」な人たちが、こうも新制度の導入に保守的なのは、非常に興味深かったです。
さらに面白いのは、反対派が危惧している要素、つまり「冤罪」「死刑」「推定無罪の無視」といった問題について、賛成派はむしろ、そういう問題を解決するためにこそ、裁判員制度を導入すべきだと言っていたところです。
帝銀事件のような事件が無罪になるかもしれない。逆に、O・J・シンプソン事件のような展開もあるかもしれない。しかしそうだとしても、やってみなければ問題点もわからないわけで、私は大筋で導入にやはり肯定的な見方です。
それに日頃「市民」なるものをずいぶん賞賛している人たちが、今の国民が裁判員になったら悪い結果が必ず出るはずだ等というのは、ずいぶん国民を馬鹿にした話だと思います。
さらに、<試行期間のあとに現行の制度に戻したとして、その時期の判決が不平等になる>などと言うのは、逆に、たとえばもし数千年前からずーっと人を裁く方法が普遍的に同じとかいうほうが遙かにおかしいのであって、無茶な要求だと思いました。
今回はなぜか姜先生も歯切れが悪かったですが、国会の議決に賛成しておいて、今から田原総一朗に「アナタなぜ賛成したの」と言われてほとんど何も言えない福島みずほサンにとっては、不利な展開でしたね。

大学時代に、スコットランド人の先生が、かなり皮肉に、「水戸黄門のストーリーというのは、結局日本人が自分たちでは何も解決できず、お上がやってきて問題を一刀両断してくれることを望んでいることの反映だ」と言っていました。たとえ不完全でもいいので、そういう状況に風穴をあけてみても良いのではないのでしょうか。お国柄だの国民性だので向かない、なんて言ってたら、いろんな近代的制度も導入すべきではなかったということになっちゃうでしょうし。