社会学は何の役に立つのか

ということもまた、大きなテーマですね。
ギデンズの『社会学』の冒頭には、社会学は、社会をより良く理解する事で、社会的提言につながることがある、ということと、「自己啓発」(!)に役に立つ、ということを明言していますね。なお、この「自己啓発」は、原語では"Self-Enlightenment"です。
以前にも書きましたが、NPO社会学ジェンダー社会学などですと、割とどのような規範が望ましいのか、比較的方向性が明らかですが、宗教社会学がテーマですと、社会貢献する宗教もあれば「カルト」もあるので、なかなか「現代宗教がこうなってゆけば良い」というのが一概には言えません。もっとも、世界の大勢をみれば宗教的寛容を拡大すべしというのは大前提としてあるようにも思いますけれど。
あと、学生の皆さんと話していて、時々気づくのは、教員の学問観と学生さんの学問観が必ずしも同じでない。
まず、大学レベルの学習は、高校までとは違い、1問1答問題集があって、この問いにはこの答えを書いておけばマル、というようなものではありません。・・・上田紀行先生『がんばれ仏教!』に簡潔に書かれていますが、大学のガクモンは、いわば答えのない問いを考え続けるといった側面があります。
また、その場、その場で、議論や認識の優劣の最終判断を下すものでもありません。・・・この点、「本来研究の結果自分で判断すべきこと」を、最初から教員に質問してくる院生さんが時々おられます。(もちろん、頼られてこその教師なので、嬉しくはあるのですが…)
さらに言えば、学問的な成果は、世に必ず、もれなく広がるというわけではありません。また、一般的な社会通念とは必ずしも合致しないことがあります。・・・昔「名前に子のつく女の子は頭がいい」というある学者の研究成果を授業で紹介したところ「その説は世に広まっていない。そうだとすると、その成果にはいかなる意味があるのか」という趣旨のコメントを書いてくれた受講生が居ました。マスメディアで取り上げられる学問的成果など、ほんの氷山の一角です(これは自然科学でもそうです。たとえば、古紙リサイクルが必ずしも環境負荷にとってプラスでないということは専門家なら大体知っていますが、それが頻繁に取り上げられるかというとそうではありません)。