ニューエイジは人類教になりうるか New Age Healers and the Therapeutic Culture

ニューエイジ・ヒーラーさん100人以上にインタビューしたというJames Tuckerの論文"New Age Healers and the Therapeutic Culture"(Imber編著の8章)を読みました。
自己犠牲・絶対主義・普遍の真理といった特徴をもつ宗教的ドグマは、セラピー文化と、見たところ対立するもののように思えます。しかし、現実には宗教とセラピーは融合してきている部分もあると言います。そしてそれは、ニューエイジ宗教について顕著である、とタッカー氏は論じています。
ニューエイジ・ヒーラーたちの世界観は、聖なる自己の探求、子どもらしさの賞賛、人を裁かないこと、そして普遍の真理を前提としないという意味で、ほとんど文化相対主義のような境地であると言います。要はそういった点が、セラピー的論理とかなり重なっているということなのでしょう。
しかしながら、興味深い指摘として、自分が自分のリアリティを招き寄せる(被害さえ自分が望んだものかもしれない)という信念については、セラピー文化に浸透しているVictimization(被害者化)の論理とは異なっている、とも述べています。また、ニューエイジ・ヒーラーたちのなかには、政府陰謀論、宇宙人陰謀論を語る人も居たということや、既成宗教に対してもおおむね寛容であること、自分の信念について必ずしもevangelical(布教的)ではなくecumenical(異宗教対話的)である、とも指摘しています。ヒーラーさん達の属性は、白人、中産階級、女性、30-50歳、ヒーリング専業ではない人がほとんど、という特徴が見られたそうです。
最終節の分析はちょっとありきたりなもので、既成宗教が衰退した霊的空洞に、ニューエイジ宗教が答えを与えており、それは、現代の個人化、平等性、移動性の増大に呼応したものなのだと述べています。
デュルケームは、いずれ近代化が進むと人間性を聖なるものとする「人類教」になってゆくと述べましたが、ニューエイジはその一例なのでしょうか(タッカー氏はそうだと示唆しているようです)。そういう面、あるとは思いますが、既成宗教の存続したポジションも含めて、もうちょっと繊細な議論が必要な気もします。
なお、タッカーさんはThe Therapeutic Corporationという研究書も出しているようで、そちらもチェックしたいところです。

The Therapeutic Corporation (STUDIES ON LAW AND SOCIAL CONTROL)

The Therapeutic Corporation (STUDIES ON LAW AND SOCIAL CONTROL)