インターネットのセラピー的効用?:Online Communities in a Therapeutic Age by Felicia Wu Song

インターネット上の様々なコミュニティは、衰退しつつあるとされるアメリカ社会の共同性に取って代わるものになるのでしょうか。「ノー」である、とTherapeutic Culture所収の論文でFelicia Wu Song先生は示唆しています。
オンライン・コミュニティは本質的にセラピー的機能をもつと言います。なぜならそれは個人の(特に感情の)福利が公共的な善よりも勝る空間だからであり、セラピー的な理想においては社会制度も個人のためのテクノロジーに過ぎないからだそうです。
著者氏は、オンライン・コミュニティとは、趣味が似た「自分のような人」と集い「自分はひとりじゃないんだ」という思いを得る場所であると言います。著者氏は、Yahoo!アメリカの"People Having an Affair"クラブ(さしずめ「不倫してる人掲示板」?!)のログを参照しながら、そこが、行為の善悪よりも、個々人の感じ方が優先される場であること、つまり、伝統的倫理秩序よりも、個人の欲望が重視される場であることを指摘します。究極にはセラピーとは、アンチ共同体的な色彩を帯びうるのです。
オフラインの知人ではないからこそ、お互いに助言し合える。それは、ジンメルが論じた"The Stranger"にも近いと著者氏は指摘しています。
エンカウンターグループの隆盛を最初に論じたカート・バックも、戯曲「欲望という名の電車」の中の "Kindness of a Stranger" --見知らぬ人の親切さ-- を引用しながら、セラピー的親密性について分析していました。近代化・都市化によって、それまでの社会では考えられないほどの部分的、刹那的な人との関わりが可能になりました。いわばオンライン・コミュニティは、近代の社会関係の変容のひとつの完成形と言えなくもないでしょう。自己啓発セミナーで「これまで誰にも話したことのない秘密を明かす」という実習があったそうですが、それもまたKindness of a Strangerを試す実験にも思えてきます。
この論文の個々の分析内容ですが、光回線も充分に普及したインターネット先進国の我々には、もはや当然と思われる内容も見受けられました。日本のインターネットでも、知恵袋やOK Waveなど、1ヶ月ぐらい真剣にフォローすれば、著者氏が紹介している以上に面白いログも収集できそうな気がします。
また、著者氏の結論的なビジョンは、やや悲観的に過ぎるのではないかと私は思いました。インターネットのやりとりで救われたという例も無数にあるのではないでしょうか。こんなに便利な情報ネットワークができれば、そこに新たな社会的相互作用が生まれるのは当然。それが一体過去の何に取って代わっているのか。逆に変わっていないものは何なのか。それを冷静に見てゆく必要があると思いました。
なおFelicia Wu Song先生のプロフィール情報はこちらで、
http://uiswcmsweb.prod.lsu.edu/manship/MassComm/People/Faculty/item16537.html
単著のタイトルはVirtual Communities: Bowling Alone, Online Together(孤独にボウリングするけれど、オンラインでは一緒)だそうです。読んでみたいですね。

Virtual Communities: Bowling Alone, Online Together (Digital Formations)

Virtual Communities: Bowling Alone, Online Together (Digital Formations)