ポピュラー音楽と資本主義
東京の大学院生とかが(しかも、結構意識の高そうな人であればあるほど)ロックに対して語る語り口について、ながらく私は違和感がありました。
曰く「体制に取り込まれたロックは…」とか。
あと、政治的なメッセージをもった曲のみを過大評価する傾向(ディスコは驚くほど語られない)などにもです。
(ついでに言うと「日本には本来の○×は無い」式の意見もあまり好きではありません。感想文の域を出ない場合が多いし、じゃあ何が発生してたら「本来の○×はあった」ことになるのかが、永遠にハッキリしないからです)
そんなことを思いつつ手に取ったのがこの本です。
- 作者: 毛利嘉孝
- 出版社/メーカー: せりか書房
- 発売日: 2007/07
- メディア: 単行本
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「ポピュラー音楽の社会学」のわかりやすい総論テキストとなるべく書かれたものとのことで、冒頭の小生の長年の違和感を完全に払拭したわけではないものの、ソコソコ音楽好きの私にもサーッと読めて、ぐいぐい惹きつけられる好著でした。
まず、知識人がポピュラー音楽を語る時大きく分けて2つの見方があると言います。
ひとつは、ポピュラー音楽など大量に消費される低俗な音楽で、支配階級の考え方を民衆に植え付けるものに過ぎない、という考え方。
ふたつめは逆に、ポピュラー音楽の創造性と破壊性をもって、それはむしろ抑圧された民衆の抵抗の論理となっている、との見方です。
そして、第3の視点として「サブカルチャー・エリート主義」があると言います。それは、メジャーな音楽の多くは嫌悪するものの、一部の「通」ごのみの音楽は高く評価し、そこに可能性を見出す立場だそうです。
その他、著者毛利先生は、社会学の大きな流れもきわめてわかりやすく説きながら、様々な事象を論じています。
1970年代以降のいわゆるポスト・フォーディズムの中で、仕事と余暇の境界が融解していき、仕事に生きがいと創造性を見つけなければならなくなった時代が到来したこと。そしてその両義性などです。たとえばミュージシャン志望の若い人の貧乏生活なども、そうした大きな社会変動の産物であると言えるでしょう。
「ポップの戦術」では、ウォーホールからクラフトワーク、YMOまで登場し、むしろポピュラーな枠内で前衛を追求し、それが商業的にも成功しうる、といった流れを概観しています(ただ、坂本龍一で言及されるのがB-2Unitであるというのが、いかにもな気は少ししましたが)。
「人種」の項では、アメリカン・ブラックミュージックが様々な意味で搾取されてきたことを説明しています。日本のインテリは黒人音楽に対する感受性が低いと示唆していて、それは私もまったく同感です。
「Jポップ」の項では、大量生産される前向き音楽としてのJポップ(小室、槇原敬之)なども、90年代の失われた10年におけるフリーター応援歌だったのではないかと批判的に見ています。そのいっぽうで、渋谷系から宇多田ヒカルに至る和製ロックは、日本の情報化を背景に、世界的にもまずまずの水準に達したという観測には私も全面的に賛成です。
というわけで、音楽を題材に社会学することができるのを示し、しかもわかりやすく面白い、出色の出来の書籍だと思いました。帯など工夫するなどして、もうちょっと売れても良いのではないかとすら思いました!