『思想地図』所収、
「『まつろわぬもの』としての宗教−現代日本の『宗教』の位相」川瀬貴也先生
を読みました。著者謹呈していただきました。
- 作者: 東浩紀,北田暁大
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2008/04/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「『いのち』を扱う医療現場のような『人間性』を試される現場において、合理性を超えて召喚されるものを我々は…『宗教性』と呼んでいい」(p.310)
ウェーバーとデュルケームが言っていたように、宗教には社会に対する変革機能と秩序維持機能の両方があり、その「往還」にこそ宗教のダイナミズムがあります。近代性に服従しえないもの(=まつろわぬもの)としての宗教について、ロマン主義的に賞賛しすぎず、かつシニカルにあげつらうでもなく「その往還に寄り添うようなポジションを保持する」べきだとしています(p.313)。
そして、嬉しいことに、終節では拙著を非常に好意的かつ有効に紹介していただいたうえで締めくくっておられます。
社会学者の多くにとっては、宗教社会学イコール「プロ倫」で止まっていたりもするのですが、そうした社会学者たちにも充分通じるような仕方で、ウェーバーやデュルケームの問題意識から解き明かし、かつ見事にそれを現代宗教論につなげた論考となっていると思いました。
以下は余談です。
川瀬氏とは、他学科でしたが、修士1年の頃よりの友人です。修士から違う大学より進学した私は、新しい学校のことを彼からたくさん教えてもらいました。コミュニケーションスキルがあり過ぎて、駒場時代の同級生たちの中にはややシットする向きもあるようですけれど(笑)