現代日本のナショナリズム

は、どうとらえるべきなのでしょうか。
既に多くの論考も出てきていますが、突っ込んで議論を展開しようとしている多くの論者は、昨今のそうしたナショナリズムの高まりの背景には、経済問題があると共通して指摘しています。さらに言えば、グローバリゼーションなど、世界的なシステムの変化と結びつけています。

この分野では、私がいちばん面白いと思っているのは高原基彰君の議論なのですが、彼によれば、高度成長型のナショナリズムと、今のナショナリズムは質が違うとのことです。つまり、昔は、会社主義がまだ生きていた時代に日本の繁栄をたたえるというナショナリズムだったのですが、現在ではむしろ、先行き不安から、近隣諸国という仮想敵を見つけて、叩くことによってスッキリするという「個別不安型のナショナリズム」だというのです。

社会が流動化し、雇用不安が高まる時代。政府主導の開発は過ぎ去り、市場がグローバル化する弱肉強食の世界です。IT長者のブルジョアボヘミアン=ボボスが生まれるいっぽう、ニートと呼ばれる人も増えていきます。教養も衰退し、政治というテーマもまた趣味化・オタク化していってしまいます。「私事化」と言ってもいいかもしれません(その先行形態が80年代軽チャーのシニシズムだと言ったのが北田さんの本ですね)。集団的連帯の可能性は少なくなり、一瞬「私」を喜ばせ、痛快な気持ちにさせてくれる言説を喜ぶ志向性。それはまた、「自己中心的で他罰的な権利志向の蔓延」(近藤瑠漫らの表現より)につながると、例のモンスターペアレントの拡大といった事態にもなってゆきます。(ガンダム世代とナショナリズムの親和性を指摘する論者もいるぐらいです。)

そういった文脈で、スピリチュアルはどうかというと、批判的な論者は、感情優位、非理性、バラバラの個人がメディアでつながるという面において、スピリチュアルとナショナリズムの親和性を見ています。

景気が悪くなり、失業者が増えると、社会不安が起こるが、民衆のうっぷんは、体制を変えるのではなく、むしろ隣国を排斥するタイプのナショナリズムへと流れる。あるいは、「あなたは世界に一つだけの花だ」等と言う「スピリチュアル」の物言いにいっとき癒される… いろんな論者の言っていることを強引にまとめるとこんな感じになるでしょうか。

もちろん、こうした見解の多くは、別に綿密に人々を取材したりしたうえで出てきているものではありませんし、印象論にとどまるものもあります。高原さんの論考も面白いのですが、グローバル化に耐えうる能力をもった恵まれた層には、こうしたナショナリズムは見られない、という見解は、(これまた印象に過ぎませんが)本当にそうだろうか、と思ってしまうフシが私の中にもありますね。時間をかけて、こうした説に関する真の検証がおこなわれることを、非常に待望しています。