マイケル・ジャクソン論は

1〜2冊読むと大体同じですね…華麗なる天才子ども時代、MTVとの蜜月、90年代以降のスキャンダルと整形、黒人社会にとっての意味…。
下記のようなマジメな雑誌まで特集していたのは驚きでしたが。

ただ、毛利嘉孝先生の寄稿文「白いマイケル・黒いマイケル:ビデオクリップにみるマイケル・ジャクソンの人種政治」は、いたずらにペダンティックになることなく、たいへん共感できるものでした。
取り上げているのが、
・BAD-PVのブラザーフッド・ストーリー
・BLACK OR WHITE-PVのモーフィング、そしてLong Ver.のブラックパンサー(言われてみればそうだった!)
・「ドゥ・ザ・ライト・シング」から読み解くブラックナショナリズム
というあたりが、非常に鋭いです。かつ、上記2曲のPVは私ももっとも好きな作品です。
確かに外見は白人になりたそうなところさえ見え隠れしていた彼ですが、実はPVの随所で、黒人らしさを強力に自己主張しつつ、より普遍的なメッセージを送ろうとしていたのだと好意的に解釈することも可能でしょう。
末尾での、マイケルの人生は「黒人であることを否定するのではなく、黒人であることを通じて人種を超えようというアクロバット的な試みだったのである」というのは、単なるヨイショ追悼文にとどまらず、マイケルが聞いたら最も喜ぶであろう評論だと私は思いました。