宗教の社会貢献活動研究プロジェクト
の例会に久しぶりに行ってきました。
http://keishin.way-nifty.com/scar/
発表者の話は、タイ仏教などの話に及びました。
発表者によれば、タイ仏教には「宗教の社会貢献」といった概念はあまりそぐわないかもしれないとのこと。
SOCIETY AS RELIGIOUS、つまり社会にあまりに溶け込んでいて、当然視されている「宗教」だと、わざわざ宗教の社会貢献と言わなくてもいいのかもしれません。
また、日本だと新宗教の当事者、あるいは研究者が「宗教の社会貢献」に関心を持っていることが多いのではという意見も。
RELIGION AND SOCIETY、つまり世間からあるていど独立しているグループとしての宗教というダイナミズムを、戦後の日本で一番発揮してきたのは新宗教だったかも知れません。いわゆる現代宗教研究が新宗教に注目したのも、宗教史学でも神学・教学でもない、独自の領域を確立できるフィールドだったからではないでしょうか。
しかし、近年は、政党などの政治団体や、宗教教団といった、いわゆる中間集団への警戒心が、以前にも増してたいへん高まっていることも事実です。
それと関係あるのかもしれませんが、2次会で聞いた話によると、韓国では、カトリック、プロテスタント、仏教の聖職者に、それぞれ社会的に発言する有名人が居るとのこと。
日本では、たとえば仏教などにおいても、山折哲雄、梅原猛などの研究者のほうがまだしもメディアによく登場しているのではないでしょうか。
社会的によく発言している聖職者などは、少なくともアメリカなどとは比べものにならないぐらい少ない気がします。
「日本における宗教嫌悪」というテーマも、一考に値するかもしれません。