自己実現空間としてのカフェ

先日、近所の行きつけ(という言葉も好きではないのですけれど)のカフェで遅めの夕食をしに行きました。
会計の時に、レジに行くと、とあるモダンダンス公演のチラシが置いてあります。

SAMPLE Modern公演「セクシィ」
http://samplemodern.sakura.ne.jp/

「どなたか出演されるんですか」と店員さんに訊いてみると「ハイ、一応!」とのことでした。
上記HPを見ると、大学OBGが作った社会人モダンダンスサークルのようですね。
日頃はカフェにおつとめで、時々こうした公演にも出ているのでしょうか…

ゴスペルの世界にちょっと関わっていた時にも思ったのですが、こうした「社会人の課外活動」もまた、近年、盛んであり、学生時代のそれとはまた違った情熱があります。社会人になっても続けている、というのは情熱のあかしでもあるのでしょう。

ゴスペル仲間の中には、たとえばちょっとゴスペルを離れて、自分の新たな音楽を表現していきたい、という時の選択肢として、カフェでのライブをスタートさせた人も居ました。
自己実現空間としてのカフェ」という言葉が思い浮かびます。

そこには、いろいろな影響があると思います。
生活空間の嗜好品化。ポスト・飲みニュケーション時代のくつろげる語らいの場として。そして、たとえばカフェオーナーなどだったら、それで起業が成功するかもしれないという思いもあるのでしょう。
もちろん、お店としてのカフェで長く存続するものは少ないのかもしれませんが、そんなことを考えました。